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ジョン万次郎の夢
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あらすじ   『ジョン万次郎』の謎  


 
 劇団四季のオリジナルミュージカル。

ジョン万次郎の人生を通して、夢をあきらめない大切さや、幕末の歴史、人種差別問題を描いている。

ファミリーミュージカルの中では対象年齢が高め。

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 歌の量     : 中

 ダンスの量    : 中

 オーケストラ   : 録音


 物語の舞台    : 幕末の日本とアメリカ

 

 

barあらすじbar

 物語全ての内容を書いているわけではありませんが、
ストーリー全てを舞台で楽しみたい方は、ご注意下さい。




 万次郎は、鎖国中の土佐(現在の高知県土佐清水市)の小さな漁村に生まれた。
14才の正月、初めての漁に出た万次郎は、嵐に遭い無人島に漂着した。
そこに偶然通りかかった、捕鯨船に助け出される。
仲間は、途中帰港したハワイに留まることになったが、
万次郎は、ホイットフィールド船長等と共にアメリカに行く決心をする。
捕鯨船で万次郎はよく働き、「ジョンマン(万)」という呼ばれるようになる。

アメリカの捕鯨の街フェアーヘブンで、ホイットフィールド船長夫妻はジョン万を自分の子供として育てる。
人種差別があった時代、夫妻は肌の色区別なくいっしょに教育してくれる学校を探し、
そこでジョン万次郎は優秀な成績を収めた。

 大人になり沢山の教養を身につけたジョン万は、祖国日本に帰り鎖国をやめ港を開くよう努める決心をする。
船を自分で購入し、琉球(現在の沖縄県)にたどり着いた万次郎。
海外に行っていたことが分かれば、打ち首になっていた時代である。
彼を救ったのは、薩摩藩藩主の島津斉彬公だった。
斉彬公は欧米の文化に興味を持ち、これから日本にも身分平等の時代がくると考えていたのだ。

 万次郎が帰国して間もなくペリーが港開放を求め黒船で江戸へ乗り込んできた。

万次郎は、今こそ身に着けてきた英語と知識を生かせる時が来たと、
ペリーとの交渉に名乗りを挙げたのだが・・・・・・。





bar『ジョン万次郎の夢』の謎bar

 『ジョン万次郎の夢』はどこまでが実話?

 かなり史実に忠実な作品です。
作品なかでも触られていますが、万次郎が開いた英語の私塾には、女性や子どもはいませんでした。
当時かわら版は、禁止されていたため町中で大々的に売られることなないような・・・。

 万次郎はどうやって日本に帰ってきたの?

 当時アメリカは、ゴールドラッシュ。
万次郎は砂金を採り、帰国するためのお金を貯めました。(話のような話ですね)
アメリカから、ハワイに向かう船に乗り、そこでボート(アドベンチャー号)を購入しました。
ハワイから中国へ向かう船に乗せてもらい日本の近くで降ろしてもらい、アドベンチャー号で琉球(沖縄)にたどり着いたのです。

 ハワイで船を下りた人たちはその後どうなったのか?

 アメリカから、途中でハワイに立ち寄り、伝蔵、五右衛門と一緒に日本へ帰国しました。
寅右衛門は、ハワイに残ることを決断しました。
重助は、万次郎がハワイに行く前に亡くなっていました。

 母に会いたい一心で帰ってきた万次郎、お母さんには会えたのか?

 取調べの後、中浜村に帰ってきた万次郎は、母と再会することができました。
しかし、再開できたのはわずか5日間。すぐに士分(武士)に取り立てられ、中浜村を後にしてます。
政治から引退した後に何度か故郷に帰り、病気の母を見舞っています。

■ 万次郎はホイットフィールド船長に再開できたのか?

 再開することが出来ませんでした。
今と違って、国際郵便なんてありませんでしたから、事前に連絡も取れなかったので、仕方ありませんね。
(一部の本で再開したとなっているものがありますが、史実では会えなかったようです。)




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