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アントニオ・サリエリを訪ねる旅
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才能あるゆえに天才を恐れる

映画『アマデウス』で知名度があがった作曲家アントニオ・サリエリ。

ロック・ミュージカル『モーツァルト』にも登場します。

サリエリの足跡を訪ねてみました。ウィーンが中心です。

『モーツァルト』の旅も記載していますので、こちらもご参照ください。

サリエリとモーツァルトは縁が深いため、紹介場所が多々重複しております。ご了承ください

ヴェネツィア

ヴェネツィア
 サリエリは、1750年イタリア レニャーゴ生まれ。 親は音楽家ではなく、モーツァルトのように環境に恵まれているわけではありませんでした。 レニャーゴを出た後、パドヴァ、ヴェネツィアに住んでいました。
ドゥカーレ宮殿

ドゥカーレ宮殿

 父を亡くしたサリエリは、16歳の時にヴェネツィアのモッチェニーゴ家に引き取られました。
当時、アルヴィーゼ・モチェニーゴ4世は、ドージェ(ヴェネツィアの元首)を務めていました。
サリエリは、不自由なく生活していたことと思われます。
ドゥージェは、ドゥカーレ宮殿で執務していました。
フェニーチェ歌劇場

フェニーチェ歌劇場

 当時、ヴェネツィアには6つの歌劇場がありました。現在まで、残っているのはフェニーチェ歌劇場とマリブラン劇場のみ。
フェニーチェ歌劇場は、大きくヴェネツィアの中心部にあり、貴族の多くがボックス席を所有していました。
モチェニーゴ家も席を持っていたに違いなく、サリエリも訪れたと言われています。
 サリエリが過ごしたであろうモッチェニーゴの屋敷は、現在も残っており、博物館として公開されています。
豪華な屋敷に、当時の貴族の暮らしが展示されています。

ウィーン サリエリの家

サリエリの家
 ウィーンを歩いていたら偶然見つけたサリエリの家。
『アマデウス』のイメージとは異なり、ここ自宅で亡くなりました。
 シュテファン寺院のすぐ近くにあります。
となりはヴェルディが住んでいた家ですが、時代が違います。
サリエリの家
 サリエリが住んでいたことを示すプレートです。

シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿
 宮廷楽長だったサリエリは度々シェーンブルン宮殿で演奏を行いました。 1786年には、冬の庭園で『Prima la musica e poi le parole』が上演されました。

ミラノ スカラ座

スカラ座
 1778年3月8日、ミラノのスカラ座は、サリエリ作『見出されたエウローパ』で開場しました。
今も昔も、オペラ劇場の最高峰に輝き続けるスカラ座。
スカラ座が再建された際も、同作品で劇場は幕を開けました。

パリ オペラ座

パリ オペラ座
 1784年パリ・オペラ座で上演された『ダナオスの娘たち』がサリエリで最も成功した作品とされています。
個人的には、『見いだされたエウローパ』の方が知名度がある気がしますが・・・。
写真は現在のオペラ座(ガルニエ宮)で、当時とは場所が異なります。
 当時のオペラ座は、サン・マルタン大通り(boulevard Saint-Martin)にありました。
現在は、デ・ラ・マルタン劇場になっていますが、建て替えられているため建物も当時のもとは異なります。

ブルク劇場

ブルク劇場
 1785年 サリエリの『トロフォニオの洞窟』が、
1795年 に『ヘラクリトゥスとデモクリスト 』が上演されました。
写真は、現在のブルク劇場で当時とは場所が異なります。
ブルク劇場

ブルク劇場跡地

 写真左側の建物の辺りがブルク劇場があった場所です。王宮の向かい側です。

シェーンブルン宮殿のオランジュリー

シェーンブルン宮殿のオランジュリー
 1786年2月7日、シェーンブルンの一角にあるオランジェリーでサリエリはオペラを、モーツァルトは3日間で完成させた『劇場支配人』を演奏した。

フランクフルトの大聖堂

フランクフルトの大聖堂
 1790年10月9日レオポルド2世の戴冠式が、フランクフルトの大聖堂(聖バルトロモイス教会)で行われ、サリエリも随行しました。
フランクフルトの大聖堂
 大聖堂内部はシンプルです。戴冠式当日は、華やかに飾り付けられていたのかもしれません。

アンディア・ウィーン劇場 

アンディア・ウィーン劇場
 1791年 モーツァルト作『魔笛』が初演された劇場です。
『初日にサリエリが、愛人と共にやってきて、絶賛してくれた。』とモーツァルトが書き残しています。この一文だけでも、かなり『アマデウス』とはイメージが異なります。

モーツァルト最後の家

モーツァルト最後の家
 モーツァルト最後の家。
幾度もサリエリが訪ねてきたと言われています。
サリエリの家から徒歩圏内です。

モーツァルト最後の家の前

モーツァルト最後の家の前
 モーツァルト最後の家の前にまっすぐ伸びる道です。
『アマデウス』でサリエリが夜な夜なレクイエムの催促に来ていたのはこの道ですね。
映画は、チェコで撮影されたためここではありません。

シュテファン寺院

シュテファン寺院
1791年 サリエリはモーツァルトの葬儀に出席しました。しかしそ、こには、モーツァルトの妻コンスタンツェの姿はありませんでした。

楽友協会ホール

楽友協会ホール
 1817年、サリエリのウィーン楽友協会音楽院の指導者に就任しました。
黄金のホール

黄金のホール

 ニューイヤーコンサートで有名な黄金のホールをサリエリが設計しました。現在の建物は、フランツ・ヨーゼフ時代に建てられたものなので、サリエリが直接設計したものとは違う・・・はずです。

病理・解剖学博物館

病理・解剖学博物館
 サリエリが晩年入院していた病院がそのまま残っています。
現在はウィーン大学の敷地内となっています。
現在は病理・解剖学博物館となっていて、内部見学も可能ですが、展示物はホルマリン漬けの人体ですのでご注意を。

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