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地図と旅の手帳  

モーツァルトの調べにのって
      ザルツブルク

ザルツブルク旧市街地

シェーンブルンのオランジェリー
 メンヒスブルクの丘からの眺め。
舞台の背景に映し出される風景です。
丘の上に建っているのは、ホーエンザルツブルク城。

 上のタイトルの画像は、満月に照らせ出されるホーエンザルツブルク城です。<

大学跡地

フルトヴェングラー公園
フルトヴェングラー公園。
父レオポルドが通ったベネディクト派の大学があった場所です。
大学講堂では、5歳のヴォルフガングが劇に出演しました。
ちょうど、モーツァルトが初めて作曲したころです。

モーツァルトの生家

モーツァルトの生家
 1756年1月27日ザルツブルク、ゲトライデ通りでヴォルフガングは生まれました。
生家には、台所が再現され、生まれた初めて使ったヴァイオリンやグラーヴィア、実質の手紙、楽譜(コピー)が展示されています。
モーツァルト一家が住んでいた様子を再現したというよりは、
博物館のような作りになっています。
(ちょっと残念)

内部は撮影不可。
ゲトライデ通り

ゲトライデ通り

 モーツァルトの生家がある通り。
レトロな看板があることで有名です。
舞台では、ナンネールの買い物のシーンの背景に用いられています。
舞台背景に出てくる看板

舞台背景に出てくる看板

  舞台の背景は現在の写真を用いて描いたようです。
舞台背景で分かりやすいのが、上の写真。
右側にある男女が並んでいる看板。
そして、左側の写真・・・・マクドナルドの看板です。
このマクドナルドの看板有名ですので、
知らずに舞台背景に使っているのではなく、確信犯の可能性があります。

大聖堂

大聖堂
 レオポルドが勤めていた大聖堂。
ミサ中は、観光客は入れてもらえないのでご注意を。
ミサ中は、ドアの前に看板が出ているのでわかります。
驚くほど下手な日本語で「ミサ中入場禁止」と書かれています。
洗礼盤

洗礼盤

  大聖堂内にあります。入ってすぐ左手にあります。
生まれてまもなくヴォルフガングはここで洗礼を受けました。
ヴォルフガングの洗礼名テオフィロスは、洗礼盤を支える獅子から取ったものです
パイプオルガン

パイプオルガン

  モーツァルトが弾いたパイプオルガン。大聖堂の祭壇に向かって右手側のオルガンが、モーツァルトの弾いたオルガンです。
モーツァルトはこの大聖堂のためにミサ曲を作りました。
そのとき、コロレドは、演奏時間など細かい指示をしたということです。
この時のミサ曲は、毎年正月に大聖堂内で演奏されます。
演奏会は、教会でよく開催されています。

モーツァルトの住居

モーツァルトの住居
7歳以降、こちらの家に住んでいたので、
ミュージカルの赤い服を買ってくるシーンはこちらの家が舞台です。
生家と同じく中は博物館になっています。
直ぐ近くにカラヤンの家があります。
内部撮影不可。

モーツァルト像

モーツァルト像
 ーツァルト広場のモーツァルト像。
開幕式には、ヴォルフガングの二人の息子が立ち会いました。
この広場に、再婚後のコンスタンツェが住んでいました。

レジデンツ(大司教館)

レジデンツ(大司教館)
 レジデンツ内で6歳のヴォルフガングが初めて人前で演奏し、モーツァルトの名前を一躍有名にした場所です。
騎士の間

騎士の間

 幼いヴォルフガングが演奏した騎士の間。
カラビニーリの間

カラビニーリの間

 オペラ『みてくれの馬鹿娘』『シピオーネの夢』が初演された。
しかし、大司教の御前で上演された作品が『馬鹿娘』とは・・・・。
 コロレドがピアノを、ヴォルフガングがバイオリンを演奏したということです。部屋の中にコロレドの肖像が飾られています。
コロレドはピアノが弾けるのですね。
そういえば舞台でも楽譜読んでましたね。
コロレド大司教の肖像画

コロレド大司教の肖像画

  レジデンツに歴代の大司教の肖像画が飾られています。コロレドの肖像は、何枚かあります。この肖像画は、ちょっと奥まったところにありました。
2015年に再度訪れたところ、この肖像画は目立つ場所に移動となっていました

ミラベル宮殿

ミラベル宮殿
  モーツァルトの演奏会がたびたび開かれたという宮殿です。
庭園は、映画サウンド・オブ・ミュージックに出てくる場所です。

カフェ・トマゼリ

カフェ・トマゼリ
 1705年創業のカフェ。
ヴォルフガングが生まれる前からあるカフェです。
ヴォルフガングも来たと言われています。

 ニッセンと再婚したコンスタンツェは、この建物内に住んでいました。
カフェ・トマゼリ2
観光のオフ・シーズンでしたが大変混んでいました。 オーストリアを代表するケーキが充実しています。
 トマゼリは、他のカフェと注文方法が少々ことなるので、ご紹介します。
 中に入ると、注文を取りに来ます。この時頼むのは、飲み物やメニューに書いてあるもの。続いて、メイドさんが、トレイに様々なケーキを乗せてテーブルを回ってくれます。指さしでOK大丈夫。ケーキの料金はその場でメイドさんに渡します。
  難しいケーキの名前を言わなくても注文できるので便利です。

ザンクト・セバスチャン教会

モーツァルテウム
モーツァルト家の菩提寺
他の観光スポットからは少々離れているためか、観光客の姿は少なかったです。
モーツァルト家の墓
 このお墓を見つけるのに苦労しました。 教会から伸びる中央の通路左側にありました。
モーツァルト家の墓
"レオポルド 1719.11.14 アスグスブルク生まれ、1787.5.28没"
"EUPHROSINA PERTL 1720.3.5 ザルツブルク生まれ 1778.12.9没"

 EUPHROSINA PERTLは、ヴォルフガングの母方の祖母。
コンスタンツェのお墓
 "コンスタンツェ・フォン・ニッセン 1763.1.15 フライブルク生まれ、1842.3.6没"

 モーツァルト家の墓なのにコンスタンツェの墓石が中央で一番大きい。裏側は夫ニッセンが刻まれているそうです。
コンスタンツェのお墓
"JEANNETTE BERCHITHOLD 1789.3.22 ザンクト・ギルゲン生まれ、1805.9.1"
"GENOVEFA WEBEER 1764.1.2 オバードルフ生まれ、1798.3.13 ザルツブルク没"

JEANNETTEは、コンスタンツェの早世した娘。GENOVEFAは、父方の祖母つまり、作曲家C.M.F.E.Von.ウェバーの祖母。亡くなった年からすると、コンスタンツェがわざわざ墓をここに移したようです。

ザンクト・ペーター教会

モーツァルテウム
上に記述されている名前が、ナンネールことマリア・アンナ。

 下の名前は、ヨハン・ミヒャエル・ハイドンです。ハイドンは兄弟で作曲家で、一般的に「ハイドン」というと兄のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンのことを指すことが多いです
コンスタンツェの叔父ウェバーは、ヨハン・ミヒャエル・ハイドンの弟子でした。

モーツァルテウム

モーツァルテウム
モーツァルト研究の総本山。
私は入りませんでしたが、中を見学することもできます。ザルツブルク市内には、モーツァルテリウムの関連施設がたくさんあります。
魔笛の小屋
モーツァルトが魔笛を作曲しているシーンの背景に登場します。
モーツァルトテウムの裏庭にあります。
ウィーンから移築されたものです。
夏季のモーツァルトテリウムでコンサートが開かれる時のみ見学が可能とのことです。(2015年時点の情報)

≪ ウィーン(1)編へ ≫   

サリエリの旅のページもご参照ください。


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