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アンデルセン 〜 HANS CHRISTIAN ANDERSEN 〜
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 童話作家アンデルセンを描いたミュージカル。

『アンデルセン物語』『HANS』『アンデルセン』と何度かタイトルが変わっています。

大人から子供まで楽しめる作品。

劇団四季では独自の演出・振り付けで上演しています。

バレエで綴る『人魚姫』がとても美しいです。

一度、劇団四季のオリジナル演出では契約更新できないという事態になり、

ファイナル公演として上演されたことがありますが、

その後、オリジナル演出が許可されて継続して上演されています。
アンデルセン物語


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 歌の量     : 中

 ダンス       : 多くはないが、劇中劇のバレエはすばらしい。

 もっとも有名な曲 : 『ワンダフル コペンハーゲン』

 物語の舞台 : デンマーク

 見どころ : 劇中に踊られるバレエ『人魚姫』は、本当に美しい振付で、純粋にバレエ作品としても成り立つと思われるほど。

 ここに注目 : マダム・ドーロと演出家の役は、本格的なバレリーナやバレエダンサーが出演します。

barあらすじbar

物語のさわりと、クライマックス以降を分けて記載しています。
ストーリー全てを舞台で楽しみたい方は、ご注意下さい。

 


 靴屋アンデルセンは村の子供たちに童話を語り聞かせて毎日を過ごしていた。

童話の世界に浸る子供たちに、村の大人たちは、アンデルセンに童話を聞かせないよう に詰め寄る。

アンデルセンは、オーデンセの村をでてコペンハーゲンに旅立つ決心をする。

 コペンハーゲンでも、アンデルセンは童話を語り聞かせ、たちまち子供たちの人気者 になってしまう。

ある日、病気で髪の毛がないことで、いじめられている子供を見つけ、『みにくいアヒルの子』を語って聞かせた。

美しく育った白鳥に勇気を与えられた男の子は、元気に学校へと向った。

 
ある日、アンデルセンにトゥシューズの注文が入る。

注文主はプリマドンナのマダム・ドーロ。

アンデルセンは、美しいマダム・ドーロに一目ぼれしてしまう。

アンデルセンは、マダム・ドーロに『人魚姫』を書いてプレゼントをする。

しかし、マダム・ドーロには振付師の夫がいるのだった。





≪以降クライマックスからエンディングまで≫


 

 子供に語って聞かせた『みにくいアヒルの子』が新聞に掲載されることとなった。

マダム・ドーロもまた、『人魚姫』が気に入り、バレエとして上演されることになった。

舞台は大成功だったが、マダム・ドーロは夫を愛していることを知り身を引くのであった。


 オーデンセに帰ったアンデルセンは、村で熱烈な歓迎を受け、再び子供達に童話を語るのだった。

そこへデンマーク王の代理としてマダム・ドーロがやってきた。

アンデルセンの『童話の王様』という称号と勲章を携えて。




 

bar舞台と実像と違いbar

 

 『アンデルセン物語』は、フィクションに近いほど、アンデルセンの実像とは異なります。



 靴屋じゃなかった

 劇中では「靴屋のアンデルセン」として、靴を売っていますが本当は靴屋ではあ りません。
アンデルセンの父が靴屋でしたが、父親は子供の頃に亡くなっています。
では、アンデルセンの職業はというとやっぱり作家なのです。
しかし作家になるまでには、舞台俳優、オペラ歌手、ダンサー、脚本家を経ています。ことごとく挫折したようですが。


 恋したのはバレリーナではなくオペラ歌手


 アンデルセンが思いを寄せていたのは、スウェーデンのオペラ歌手ジェニー・リンド。
ちなみに、ジェニー・リンドの夫はピアニストです。


 アンデルセンの初脚本は不評だった


 アンデルセンのいくつかの作品は、舞台で上演されましたが、ことごとく口笛の洗礼を受けたようです。
デンマークでは、新作はほとんど口笛を浴びるそうなので、必ずしも不評とは言い切れないかもしれません。


barアンデルセンの実像bar

生い立ち

 ラテン語学校の進学を希望しながら、貧困のため通うことができなかった父と、 無学で世間知らずな母とに愛されて育ちました。
特に母親はアンデルセンを溺愛していたようで、入学の際にはアンデルセンを打たないように頼みに行ったり、
アンデルセンが奉公先でからかわれると、すぐにそこを辞めさせてしまったことがありました。

上京

 アンデルセンは、14歳で憧れの舞台に立つため単身コペンハーゲンに旅立ちま した。
運よく国立劇場の音楽学校に入ったものの、声変わりで美しい声を失ってしまいました。
次はダンスを勉強したのですが、才能がなかったようです。
次に台本を書いて劇場に届けたのですが、初等教育も満足に受けていない状態だったため、「今後送ってくるべからず」と突っ返されてしまいました。
その後奨学金を得て勉学に励み、優秀な成績を収めました。

デビューと挫折

 学生のときからアンデルセンは詩集を出版するようになりました。
ことごとく、文法の綴り誤りが多いとして酷評を受けました。
これは、長きに渡って彼を悩ませたようで、文学の専門家に校正を受けたものですら、酷評を受けました。
彼の作品は早々にドイツ語に翻訳され、こちらは中々好評を博したようです。
実際、オーストリアで勲章を授与されています。


交友関係

 いかに『童話の王様』アンデルセンといえども、彼の交友関係の広さには驚かさ れます。
ヴィクトル・ユゴー、アレクサンドル・デュマ、バルザック、ハインリッヒ・ハイネ、グリム兄弟。
その他、画家、学者、女優などとも広く交流していたようです。

アンデルセンの苦手なもの

 アンデルセンは、極度の怖がりだったようです。
枕元には縄梯子を置いていたというのは有名な話です。
また、寝ている間に死んでいると間違えられて埋められないように「死んでません」と書いて寝ていました。
北欧出身なだけに、暑さに弱かったようです。
ナポリでは、あまりの暑さに逃げ出し、スペインも行こうとして挫折しています。

おもしろすぎます。アンデルセンさん!

アンデルセン王子様説

 驚くべきことにアンデルセンは王子様だったという説があり、本まで出版されて いるそうです。
王子とされる理由について、自分の解釈を加えてご紹介します。

  • 語ることのなかった出生のこと
      アンデルセンは、初めてであった人に自己紹介をかねて経歴を無理やり聞かせるのが好きでした。
    しかし、いつどこで誕生したかは一切話さなかったそうです。
    それどころか、誕生のことを訊ねると、怒り出したといわれています。
    このことから、アンデルセンの誕生には秘密があるのではないかと言われています。

  • アンデルセンがあまりにも月たらずで誕生している
     アンデルセンの両親は、1805年1月5日婚約。結婚は同年2月2日、アンデルセンの誕生は、同年4月2日です。
    婚約からわずか3か月て誕生はさすがに早すぎます。
    また、父親は丸顔で、ハンスとはまったく似ていなかったと言われています。

    (誕生のことを話したがらなかったのは、この誕生の計算が合わなかったからのような気がしますが・・・)

  • 不自然な洗礼教会
     アンデルセンが洗礼を受けた聖ヨハネ教会は、アンデルセンの生家とされる地区の教会でもなく、
    両親が所属している教会でもありませんでした。
    聖ヨハネ教会はオーデンセ城の教会区内であるため、オーデンセ城内で生まれた可能性があるとされています。

  • 出生証明書がなかった
     アンデルセンは出生証明書がなかったために、大学に入学することができず、コペンハーゲンに出てから出生証明書を取得しています。
    両親は、洗礼も受けさせ、義務教育でなかった当時に学校にも行かせています。
    ここまで熱心な両親なのに出生証明書がないのは不自然です。

  • 唯一の友達は王子様
     アンデルセンは子供のころ内気で、学校の子供たちとは打ち解けるとこができませんでした。
    唯一仲良かったのは、オーデンセ城にいた王子でした。
    オーデンセ城で母親が下働きしていたため、城に連れて行ってもらっていたのですが、
    王子と下働きの子供と遊ばせるはずがない。アンデルセンも王子だからこそ遊ばせてもらえたのではないかとされています。

  • 教育費の出所は?
     アンデルセンの時代は、義務教育ではなかったので、学校に通わせるには学費が必要でした。
    アンデルセンの家は貧しいにも関わらず、アンデルセンは5歳で学校に通っています。
    また、アンデルセンが学校をやめてしまっても、すぐまた別の学校を探し出して通わせています。
    これは、養子としてアンデルセンを貰い受けた際に、当時の慣習にならって教育費をもらっており、
    その費用を律儀に教育費あてたのではないかと推測されています。

  • 王女さまからお小遣いを賜っていた
     アンデルセンが苦学生と生活していた際、王女がアンデルセンを何度か訪れ、お小遣いまでもらったと自伝に書かれています。
    当時田舎から出てきている苦学生は、アンデルセンに限らず数多く存在したと推測され、
    王女が特別アンデルセンに目を掛けていたのが不思議です。

  • 下級士官だった
     アンデルセンは、コペンハーゲン大学在学中に、近衛兵隊の学生隊に所属していました。
    学生隊に所属できるのは名門の子息だけでした。
    そしてわずかな期間で、下級士官まで出世しています。
    平民で士官にまでなったのは、その後もアンデルセンの他には存在しません。
    また、この不自然なまでの待遇について、アンデルセンは語ることはありませんでした。

  • みにくいあひるの子
     この物語をよんで多くの人は、貧しく馬鹿にされても、頑張った結果「お話の王様」と呼ばれるまで成長したアンデルセンの姿だと思うでしょう。
    しかし、アンデルセンが王子だったとしたら。
    王子なのに、なぜか庶民に育てられたアンデルセン。
    白鳥はどこで育っても白鳥だということになります。

  • 謎の小袋
     アンデルセンは、皮の小袋を肌身離さず身に着けていました。
    その中身は誰にも見せることはありませんでした。
    その中には、アンデルセンの出生のひみつが、入っていたとされています。
    彼の遺言に従って、死後破棄されてしまい、破棄した人物も誰にも言い残さなかったことから、永遠の謎となってしまいました。

 

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