エディット・ピアフ
エディット・ピアフの墓
場所は、パリ近郊のペール・ラシューズ墓地。
ピアフの映画が公開直後だったためか、訪れている人も多かったです。
独特の声が魅力的だったピアフ。
越路吹雪さんに大きく影響を与えた人です。す
ロッシーニ
ロッシーニの墓
ロッシーニのお墓。
ペール・ラシューズ墓地にあります。
大変広い墓地ですが、ロッシーニのお墓は正面入り口からまっすぐ続く道にあり、お墓も大きいので見つけやすいです。
ショパン
ショパンのレリーフ
ウィーンのコークマルクト通りにあります。
大きな通りではありませんが、ごく普通のお店の間にあるので、
見逃してしまうかもしれません。
ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤンの生家
カラヤンの生家はザルツブルクにあります。
カラヤンの家は、息子のためにオーケストラを買い取ったそうで・・・
どんだけお金あったんでしょうね。
内部は公開されていません。
夜、いくつかの部屋の電気がついていたので、住んでいるようです。
カラヤン生家のプレート
生家のドアの上にあるプレート。
生家の通りを挟んだ隣は、州立歌劇場。
州立歌劇場の広場に面してモーツァルトが少年時代をすごした家があります。
カラヤンの像
ザルツブルクのカラヤンの生家の庭にある像。
柵越しにみることができます。
モーツァルテリウム音楽院
ザルツブルクにある音楽学校で、カラヤンは音楽を学んだ。
同じ師に、トラップ家のマリア(劇中の主役ではなく、トラップ家の娘)も学んでいたが、教室の出入りですれ違う程度で面識はなかったそう。
ベルリン・フィル
1955年ベルリン・フィルハーモニーの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任した。
スカラ座
1939年オペラの最高峰、スカラ座で指揮をした。
ザルツブルク祝祭大劇場
カラヤンは、ここにオフィスを持ち度々ここで指揮しました。
ウィーン国立歌劇場
1956年から64年までカラヤンは、ウィーン国立歌劇場の芸術監督を務めていました。
カラヤンの像
ウィーン国立歌劇場内にあるカラヤンの像です。
楽友協会ホール
世界的に人気のあるニューイヤーコンサート。1987年にはカラヤンが指揮しました。この年から毎年指揮者が変わるようになりました。
カラヤンのプレート
ウィーンの楽友協会ホール近くにあります。
カラヤンのサインって、ごちゃごちゃしていますね。
ウィーンにはあちこちにこのようなプレートがあるので、
知っている音楽家を探してみるのも楽しいです。
ヨハン・シュトラウス
ヨハン・シュトラウスの像
ウィーン黄金に輝くヨハン・シュトラウス像。
ウィーン市立公園の中で最も有名な像です。
シュトラウスなくして、ウィーナーワルツなし。
リヒャルト・ワーグナー
ヴェラドラミン・カレルジ
ヴェネツィアのヴェラドラミン・カレルジは、ワーグナーが最後の時を過ごした場所です。
ワーグナーはヴェネツィアが好きで度々訪れていました。
現在この建物は、カジノになっています。
ワーグナーのプレート
ワーグナーがヴェラドライン・カレルジに滞在したことを示す碑です。
カジノ脇の大運河に面した壁にあります。
比較的新しいものらしく綺麗な状態です。
ラ・ヴェッロ
ワーグナーは、イタリアのラヴェッロに滞在して、『パルシファル』や『ペール・ギュント』を着想を得たといわれています。
本当に美しい場所です。
ラヴェッロのリヒャルト・ワーグナー通り
ラヴェッロの直ぐ横の通りは、ワーグナーの名前が付いています。
美しく、なだらかな階段が続いています。
ホーエンシュバンガウ城
ドイツのヴァイエルンにあるホーエンシュバンガウ城。
内部にワーグナーが引いたピアノが展示されているということですが、
私は中に入っていないので見ていないです。
次回はぜひ見たいと思っています。
ロベルト・シューマン
ロベルト・シューマンの像
ドレスデンのゼンパー・オーパーの裏手に、
シューマンの像があります。
シューマンは、1844年から6年間ドレスデンに住んでいました。
ハイデルベルク大学
シューマンは、ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(現在のハイデルベルク大学)で法学を学びました。
ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
ロベルト・シューマンの像
ワイマールのヨハン・ゼバスチャン・バッハ像は、
マルクトの近くにあります。
バッハの家を示すプレート
ワイマールのバッハの家は、エレファント・ホテルの隣のあたりに澄んでいたそうですが、現在は何もなく、壁にこのプレートが 掲げられています。
二人の息子が生まれたことが記されています。
メンデルスゾーン・バルトルディ
メンデルスゾーンの石碑
ベルリン ポツダム広場に近いメンデルスゾーン・バルトルディ公園に、
メンデルスゾーンの石碑があります。
残念ながら、石碑にはスプレーで落書きが。
顔もあまり似ていない気がします。
メンデルスゾーン・バルトルディ公園
メンデルスゾーン・バルトルディ公園は、
都会の中のオアシスのような存在です。
緑豊かで、うさぎの姿も見かけました。
メンデルスゾーン・バルトルディ公園駅
メンデルスゾーン・バルトルディ公園駅。
こちらにメンデルスゾーンの像があるそうですが、
見逃してしまいました。
オーレ・ブル
オーレ・ブル
ノルウェーのベルゲン出身で、ヴァイオリン奏者および作曲家。
欧州とアメリカで活躍しましたが、
その曲はほとんど残っていないそうです。
オーレ・ブルが現在でも有名なのは、彼の功績ではなく彼をモデルにした戯曲「ペール・ギュント」によってでしょう。
写真の像は、ベルゲン劇場の前の広場にある噴水の上に立っています。
グリーグ
グリーグの像
ノルウェーを代表する作曲家グリーグは、ベルゲンの出身。生家は博物館となりコンサートも開からているのですが、
町の中心部から少々離れていたのと時間がないので行くことができませんでした。
ベルゲンの中心部にはグリーグホールという名前の近代的な大きなコンサートホールもあります。
日本で最も有名な曲は、「ペール・ギュント」の朝。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
シュテファン寺院
1740年ハイドンは、才能を認められウィーンのシュテファン寺院の聖歌隊に入りました。
ハイドンのピアノ
ウィーンの新王宮内にある古楽器博物館に、ハイドンが使っていたピアノが展示されています。
鍵盤が二段のものですね。
ミヒャイル・ハイドン
シュテファン寺院
単にハイドンと言った場合、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのことを指す。ミヒャエルは彼の弟ですが、ミヒャエルも著名な作曲家です。
また、作曲家ウェーバーの師でもあります。
ハイドンは、少年時代シュテファン寺院の聖歌隊に入っていました。
タインツマイスターハウス
1762年、ここでハイドンは結婚式を挙げました。
マカルト広場にあり、そのごモーツァルト一家が住んでいたことから、一般的にモーツァルト・ハウスと呼ばれています。
第二次世界大戦で半壊しましたが、復元しています。現在は、モーツァルトに関する展示がされています。
ミヒャイル・ハイドンの家
ザルツブルクのホーエンザルツブルク城へのケーブルカー乗り場の隣がハイドンの晩年の家。
前の通りは、観光客であふれていますが、ハイドンの家に目を留める人は少ないです。(私も偶然気づきました)
ザルツブルク・レジデンツ
ザルツブルグでは、大司教ジギスムント3世の宮廷音楽家を務めました。写真は大司教の居城です。
モーツァルトが多々演奏した場所としても知れています。
聖三位一体教会
ミヒャエル・ハイドンは、ザルツブルグの聖三位一体教会のオルガニストを務めました。
ザルツブルク大聖堂
ミヒャエル・ハイドンは、ザルツブルク大聖堂のオルガニストとして、W・A・モーツァルトの後任を務めました。
ミヒャエル・ハイドンの墓
ザルツブルクのザンクト・ペーター墓地に、W・A・モーツァルトの姉ナンネールと共に眠っています。
二人は信仰が深かったそうです。
私は見られなかったのですが、頭がい骨は教会内にあるそうです。
バルダッサーレ・ガルッピ
バルダッサーレ・ガルッピ像
オペラ・ブッファの作曲家で、ヴェネツィアのブラーノ島の出身です。
ブラーノ島の中心にガルッピ像があります。
ブラーノ島
ガルッピは、世界で活躍しましたが、ここブラーノを愛していたようで、長い時をここで過ごしました。
漁業の町で、霧の中でも分かりやすいように、色とりどりに塗られた家並みは美しいです。
サン・マルコ寺院
ガルッピは、ヴェネツィア本島にあるサン・マルコ寺院で楽団員として働いていました。
アントン・ブルックナー
ウィーン市民公園の像
ブルックナーは、オーストリア生まれの作曲家です。ウィーン市民公園に石像があります。
ウィーン大学
ブルックナーは、ウィーン大学で音楽理論の講義を行っていました。
ベルヴェデーレ宮殿
晩年ベルヴェデーレ宮殿内の建物ですごし、そこで亡くなりました。
チケット売り場の反対側の平屋の建物だそうですが、行った後に知ったのでその建物の写真はないです。
ヨハネス・ブラームス
古楽器博物館
ウィーンの新王宮内の古楽器博物館にブラームスが使っていたピアノが展示されています。
アンドリュー・ロイド・ウェバー
王立音楽学校
A・R・ウエバーが通ったロンドンにある音楽大学です。
ロイヤル・アルバート・ホールの向かい側にあります。
ロイヤル・アルバート・ホール
A・R・ウエバーの50歳バースデー・コンサートや『オペラ座の怪人』25周年特別公演が開かれたホールです。
毎年開かれるプロムスは、世界的に有名です。