レ・ミゼラブル
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■■■■ その他 ■■■■
原作には、登場人物の足取りが記述されていますが、読んでいて方向感覚や町並みが想
像できましたか?
管理人は、文章の読解力と方向感覚が乏しいため、さっぱり。
地図を片手に原作を読み返したり、解説本を元に図にしました。
ご参照下さい。(誤りがありましたら、教えてください。)
◆◆ バリケード周辺
地図 ◆◆
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アンジョルラス達が築いたバリケードは、
シャンブルリー通りとモンデトゥール通りの北側にありました。
モンデトゥール通りの南側は連絡用通路として、バリケードはありませんでした。
(図の赤い部分がバリケード)
ミュージカルで観客は、門番を射殺した建物から、バリケードを見ている感じになります。
※ モンデトゥール通りは、現存しますが大きく変わっています。
当時の名残はありません。
中央市場は、現在フォーラム・デ・アールというショッピングセンターになっています。
※ この地図は『「レ・ミゼラブル」を読み直す』を元に作成しました。
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◆◆ ピクピュス周辺地図 ◆◆
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ミュージカルにこのシーンはありませんが、
幼いコゼットを連れたバルジャンの逃亡劇のクライマックスシーン。
赤い点線がバルジャンの足取りです。
Y字を右に、突き当たったT字は右が行き止まり、
左には人影、背後からは足音。
逃げ場を失ったバルジャンは、塀を乗り越え修道院の中へ。
※ ピクピュス修道院は、ユゴーが創作した場所です。
ただしモデルになっている場所があります。
小説ですと、セーヌ川の北(バスチーユの辺り?)ですが、
モデルになっている場所は、南側パンティオンの近くです。
詳しくは、「レ・ミゼラブル百六景」で紹介されています。
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2013年新演出によりオープニングシーンが、ガレー船のシーンに変り
ました。
ガレー船について少し調べてみました。
ちなみに、ヒュー・ジャックマン主演の映画で囚人らが引いている船は、ガレー船ではありません。帆船です。
フランスでは1748年にガレー船が廃止されていますので、
『レ・ミゼラブル』の時代には、ガレー船は存在しませんでした。
下記の内容はガレー船最後のころの様子です。
ガレー船の寄港地は、マルセイユとダンケルク。
バルジャンが徒刑されていたツーロンも軍港でしたが、ツーロンにガレー船はありませんでした。
ガレー船を漕いでいたのは、軽犯罪の徒刑囚、トルコ人奴隷、プロテスタントでした。
軽犯罪者である理由なのですが、当時フランスは処罰が厳しかったので、そもそも重犯罪者は死刑だったためです。
その意味で、窃盗犯のバルジャンがガレー船送りになるのは、不思議ではないです。
ガレー船の徒刑を言い渡されて、輸送中または刑務中に死亡する囚人は50%を超えていました。
彼らに与えられるのは、1日780グラムのビスケットと120グラムの豆。
この豆は、通常人間が食べるものではなく、よく煮ていないので、まず食べられるものではなかったそうです。
命令・規律に従わなかったものは、容赦なく綱打ちされました。
冬や武装解除時には、ガレー船は軍港に停泊していますが、
手に職があるものは、収入バラックを建てて商売することができました。
手に職がないものは靴下を編んだそうです。
ガレー船内で、食べ物や便宜を図ってもらうために、何かとお金は必要でした。
一般的な大きなのガレー船の乗組員は、6人の将校、27人の下士官、約50人の船員、約300人の囚人らの漕手。
さらに、戦闘中は100人の兵士が乗り込みました。
警察官・刑務官は乗り合わせていません。
ガレー船は、士官たちも横になるスペースはないほど、狭いため乗せられる兵士の数は限られていました。
また、敵地にたどり着いたとしても、囚人だけを船に残しておくことはできないので、
敵地に兵士を送り込める数は少なく効率が悪かったといいます。
ガレー船の利点は風が凪いでいるときのも進むことができ、軍船に比べて、船底が浅いため浅瀬でも進むことができました。
劇中、学生等が「ラマルク将軍」の名を叫んでいますが、
ラマルク将軍はどのような人物だったのでしょうか?
調べてみました。
ジャン・マクシミリアン・ラマルク Jean Maximilien Lamarque
1770年7月22日、サン・セベールで生まれる。
父はジョセフ・ラマルク、第三身分の議員で有名な『球戯場の誓い』の中のひとり。
ジャン・マクシミリアン・ラマルク自身は、ナポレオン率いるフランス軍に加わり、順調に出世しています。
ワーテルローの戦いでは、フランス軍8部隊のうちの一つを指揮しました。
8部隊のうち1つは、ナポレオン直轄軍でしたので、ラマルク将軍の地位が分かることでしょう。
この戦いでフランス軍はプロイセンに敗北しますが、
ナポレオンに、「ラマルクは私が与えた困難に立ち向かい、驚異的な行動は期待を超えた。」と言わしめました。
その後、農業改革と戦略的投資に尽力。ブルボン家に反発する左派に人気の代表でした。
1832年6月1日にコレラにより死去。
その葬儀の様子は、映画版ミュージカル『レ・ミゼラブル』に描かれている通りで、
パリで行われた葬列には民衆があつまりました。
そこで集まった民衆が六月蜂起(六月暴動)のきっかけとなりました。
民衆の中から沸き起こった「ラ・マルク将軍をパンティオンへ」という叫びは、
暴動を起こす合言葉だったとする説があります。
パンティオンは、フランスを代表する偉人が埋葬されている場所で、
『レ・ミゼラブル』の作者ヴィクトル・ユゴー自身が埋葬されています。
エトワール広場の凱旋門に、ラマルク将軍の名が刻まれています。
サン・セベールには彼の屋敷、墓、銅像が残されているそうです。
DVDが発売されていないため、DVDのページでは紹介できないので、こちらでご紹介します。
1996年 クロード・ルルーシュ監督、ジャン・ポール・ベルモンド主演のフランス映画です。
かなり変り種の映画で、複数の話が入り組んでいて分かりにくいです。
『レ・ミゼラブル』になぞらえて、父子ふたりのアンリの人生を描いています。
二人のアンリと、ジャン・バルジャンは、ジャン・ポール・ベルモントが一人で演じています。
≪あらすじ≫
アンリは、無実の罪で投獄されてしまった。脱獄しようと試みるが失敗し死んでしまう。
アンリの妻は、娼婦に未を落とすが、夫の死をしり自殺してしまう。
アンリの同名の息子は、やがてプロボクサーとなる。
第二次世界大戦がはじまり、フランスでもユダヤ人迫害が横行する。
アンリは、ユダヤ人家族のスイス逃亡に力を貸す。
アンリは、道中にユダヤ人家族から『レ・ミゼラブル』を読んでもらう。
道中、ユダヤ人家族は、散り散りとなた。
幼い娘サロメはアンリの娘として修道院に入り、妻はナチス将校相手の娼婦に身をやつし、夫は足に怪我をして農家の地下に匿ってもらう。
ユダヤ人の莫大な資産に目がくらんだ農家夫婦は、ユダヤ人の夫にナチスが快勝していると伝え、娘は殺されたと伝えた。
アンリは、ユダヤ人逃亡に手を貸したとしたとして、警察から追われる身となる。
拷問に掛けられたアンリは、ギャング団に助けられ、しばらくの間彼らとともに活動する。
≪以降クライマックスからエンディング≫
アンリは、連合軍上陸に手を貸し英雄となった。その際、マリウスという青年を助ける。
終戦。
アンリは、パリ郊外の小さな店を譲れ受ける。
終戦後も、それを知らせずユダヤ人を閉じ込めていた農家夫妻だが、ユダヤ人の扱いを巡ってケンカとなり、二人は死んでしまった。
13日後、たまりかねて這い出したユダヤ人は、戦争は終わっていたことを知る。
ユダヤ人家族は、アンリの店で再会。
しかし、アンリは警察に逮捕された。アンリは逃げる機会があったがあえて逃げなかった。
アンリを追い続けた警察官は、自殺してしまう。
アンリは、裁判で無罪を勝ち取った。
そして、マリウスとユダヤ人の娘サロメは、幸せな結婚を迎えた。
NHKの名曲アルバムに『レ・ミゼラブル・メドレー』が加わりました。
放送は、2011年3月。
曲はハイライトメドレー形式で、使われた曲は以下の通りです。
曲
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映像
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♪オーバチュア
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・カルーゼル凱旋門 |
♪夢やぶれて |
・ヴォージュ広場 ・ユゴー記念館 |
♪宿屋の主人の歌 |
・ムフタール街 |
♪雲の上のお城 |
・旧プリュメ街(おそらく) |
♪プリュメ街 |
・セーヌ川と芸術橋 |
♪民衆の歌 |
・コンコルド広場 |
♪(バリケード 戦い幕開けのファンファーレ) |
・エッフェル塔 |
♪オン・マイ・オウン |
・ユゴー記念館 ・ノートルダム寺院 ・パンティオン
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