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          ジャン・バルジャンの
                世界を追う

物語順に写真を並べました。
観光した順になっていません。

第一部(ファンティーヌ) ~ 第二部(コゼット)

ツーロン

ツーロン
 ツーロン市役所の施工している際、人像柱が倒れてきた。ジャン・バルジャンは、一人でその人像柱を支えた。
 ツーロン市役所ちゃんと実在し、人像柱も実在します。
私はツーロンにいっていないので、道路標識と観光看板を届けします

オピタル街

オピタル街
 幼いコゼットを連れたバルジャンは、オピタル街のパリ中心から離れた寂しい一角にあるゴルボー屋敷に住んだ。

 とても広く長い通りです。ゴルボー屋敷は左手にあったようです。
オピタル街の看板

サン・メダール教会

サン・メダール教会
 バルジャンはいつもサン・メダール教会の井戸に座っている会堂守に施しをしていた。ある日その会堂守の姿がジャベールに見えた。

 小さな教会です。中に入ることは出来ません。
井戸は見つかりませんでした。
教会の前には市が出ていました。
オピタル街の看板

オステルリッツ橋

オステルリッツ橋
ジャベールに追われたバルジャンは、幼いコゼットの手引いて荷車に隠れて橋を渡った。
振り返ると、三人の男の影が立っていた。

 原作の挿絵と同じになるように写真を撮ろうと試みたのですが、脚立に乗らないと無理みたいです。

トゥルヌフォール通りとロモン通りの交差点

トゥルヌフォール通りとロモン通りの交差点
 ジャベール等に追われたバルジャンは、Y字に差し掛かった。

 『レ・ミゼラブル百六景』によると、原型『レ・ミゼール』は、ちょうどこのY字だったそうです。
ユゴーが『レ・ミゼラブル』に書き換えた際、ここの地図を裏返し、道の名前を架空のものにしています。
つまり、『レ・ミゼラブル』では、右の道を進んだことになっていますが、写真で言うと左の道を進んだことになります。ややこしい(笑)
こちらにレ・ミゼラブルの バルジャンの足取りをまとめましたので、ご参照下さい。
 ゴリオ爺さんの住んでいたのもちょうどここです。
現在は、おしゃれなレストランがあります。

トゥルヌフォール通り(Rue Tournefort)

トゥルヌフォール通り
 左手の道(実際は右手)の先には、人影が見えた。

道の旧名は、ヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーヴ通り。
『レ・ミゼラブル』の小説上では、ポスト通りピクピュス小路。
石畳の上り坂。自転車のお兄さんも大変そう。

ロモン通り(Rue Lhomond)

ロモン通り
 バルジャンはY字の右手の道を進んだ。
道を進むとT字路にあたり、右は行き止まり。
左は、人影がいた。

道の旧名は、ポスト通り。
小説上は、ポロンソ通りになっています。
ロモン街の看板

ポ・ド・フェール通り(Rue du pot de fer)

ポ・ド・フェール通り
 行く手を失ったバルジャンは、塀をよじ登った。
そこは、プチ・ピュクピス修道院だった。

 写真はトゥルヌフォール通り側から撮影しています。
修道院は左手にあったことになります
ロモン街の看板

モンパルナス墓地

モンパルナス墓地
 バルジャンは修道院を抜け出すために、死体と入れ替わって、棺桶に入り、ヴォージラール墓地に埋められた。

ヴォージラール墓地は廃止され現在はありません。
モンパルナス墓地に併合されました。

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