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ノートルダム・ド・パリ  Notre-dome de paris
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  ヴィクトル・ユゴー原作『ノートルダムのせむし男』をミュージカルにしたものです。

ディズニーの映画とは、全く別のものですが、

ところどころにディズニーの影響が見受けられます。

ワイヤーなどをつかったアクロバットが見どころです。

2013年の来日公演は、フランス版でしたが、英語で上演されました。

ノートルダムの鐘


歌の量 : 多い(セリフもすべて歌で進む)

ダンスの量 : 多

字幕 : ステージの両脇に電光掲示板が設置された

上演時間 : 2時間30分(20分の休憩含む)


bar登場人物相関図 bar

相関図の見方は、凡例をご参照ください。
『ノートルダム・ド・パリ』登場人物相関図


 barあらすじbar

物語のさわりとクライマックス以降を分けて記述しています。

 

 

 パリのノートルダム寺院の鐘つき男カジモドは、醜い男だった。
カジモドは、広場で踊るジプシーの娘エスメラルダに恋をした。
エスメラルダに恋をしたのは、カジモドだけではなかった。
婚約者がいる若く美しい兵士フェビュス。
醜いカジモドを拾い育てた司教のフロロ。

エスメラルダは、ジプシーの隠れ家に迷い込んだ詩人を救うために結婚した。
しかし、詩人に体を許すことはなかった。
エスメラルダが恋した相手はフェビュスだった。

フェビュスは、エスメラルダと婚約者どちらか一方を選ぶことはできなかった。
フェビュスがエスメラルダをベッドに誘い込んだとき、フェビュスは何者かによって刺された。
エスメラルダは、フェビュスを魔法を使ってかどわかし、ナイフで刺した罪で投獄された。

フロロは、エスメラルダに明朝までにフロロか絞首台かを選ぶように迫る。
その時、カジモドは、捕えられていたジプシーを解き放った。
ジプシーたちは、エスメラルダとともに、刑務所から逃げ出した。


≪ 以下クライマックスからエンディングまで ≫



 フェビュスは、生きていた。
フェビュスは、婚約者からエスメラルダを捕えて、絞首刑にするよう要求される。

エスメラルダは、フェビュスによってふたたび捕えられてしまった。
エスメラルダの命は、絞首台の上で消えた。
フロロは、その罪の意識からか、同時に死んでしまった。

カジモドは、エスメラルダの亡骸を抱いて言う。
―エスメラルダ、また踊っておくれ。また歌っておくれ。
 お前とともにあの世に行くことは、死ぬことではないのだ―

 

barメモbar

 この物語は、1482年。
2幕開けに、フロローとグランゴワールによって『フローランス』(フィレンツェ)が歌われます。
ここでは、『ノートルダム・ド・パリ』の時代背景が語られます。
世界史オンチの管理人自身のために、歌詞に出てくる内容を確認してみました。


 ルネッサンス 

 14世紀〜16世紀の間なので、『ノートルダム・ド・パリ』はまさにルネッサンスのまっただか中ということになります。


 ダンテの地獄

 ダンテの神曲の3部のうちの最初の1部が地獄篇。
 1307年〜1321年に執筆したので、この物語より少し前。
 グランゴワールがこの神曲の内容を知っていても不自然ではない。

ダンテの生家

 ブランマンテ

 イタリアの建築家。
 1482年は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で有名なミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会設計している。
 1506年〜1626年にサン・ピエトロ寺院とバチカン宮殿を建築した。

サン・ピエトロ寺院ヴァチカン宮殿


 フィレンツェでは地球が丸いという

 ダンテの新曲ではすでに地球は丸いと記述されている。
 ちなみに、地動説と唱えたガリレオはまだ生まれていない。(そうか考えるとかなり古い時代ですね)

フィレンツェ

 インドに向けて船が出ている

 コロンブスがインドへ向けて出奔したのは、1492年。なので、物語よりちょっと後のこと。
 しかし、コロンブスはこの物語より1年前の1491年はガーナまで行っている。



 ルターが聖書を書き直している

 これは、完全に矛盾しています。
 マルティン・ルターが生まれたのは、1483年なのでこの物語の翌年ということになります。
 当然、聖書を書き直したのはもっと後のことです。

 マルティン・ルターは、宗教改革者。
 もとは、カトリック修道士で熱心に聖書について学び、司祭にまでなっています。
 その後、カトリックの教えに疑問を生じたのがきっかけとされています。
 また、性欲に苦しむのは罪であり、結婚すべきと説いたことで知られています。
 ルターは、フロローと共通したところが多いですね。

ルター


 ニュルンベルクのグーテンベルクの印刷

 グーテンベルクは、1398年ごろ生まれ1468年没なので、ノートルダム・ド・パリの時代には生きていた。
 グーテンベルクが活版印刷を発明したのは1445年といわれる。
 グーテンベルクが聖書を印刷したのは、1455年。
 この物語の27年前ということになります。

 ※「書物がやがて、建物を滅ぼすだろう」というのは、原作の中で、フロロが言っている言葉です。

   ニュルンベルク



bar関連作品bar

 原作者(ヴィクトル・ユゴー)が同じ作品
 ・ レ・ミゼラブル
 ・ レ・ミゼラブル 少女コゼット

 ノートルダムのせむし男のミュージカル
 ・ ノートルダムの鐘(ディズニー・ミュージカルアニメーション)


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