モーツァルト!
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シェーンブルンのオランジェリー
1786年2月7日、シェーンブルンの一角にあるオランジェリーで、サリエリはオペラを上演。
モーツァルトは3日間で完成させた『劇場支配人』を演奏した。
パルフィー伯爵邸
パルフィー伯爵邸
王宮のすぐ近く。
1786年、パルフィー伯爵邸の大広間で、『フィガロの結婚』が試演された。その建物は、現在も残っています。現在は、モーツァルトコンサートが開かれていて、誰も気軽にモーツァルトを楽しむことができます。
アン・ディア・ウィーン劇場
『魔笛』が初演されれたシカネーダの劇場。
ヴォルフガングの時代から移転しています。
ミュージカル『モーツァルト!』が上演されたのもこちらです。
パパゲーノの像
魔笛の台本を書き、自らパパゲーノ役で出演し、
劇場の持ち主であったシカネーダ。
彼はパパゲーノの姿で劇場を見守っています。
場所は、現在の劇場正面口ではなく、横の入り口です。当時はこちらが正面口でした。
ペーター教会
モーツァルトの子どもが洗礼を受けた教会です。
またモーツァルトの臨終の際、コンスタンツェの妹のゾフィーが司祭を呼びに行ったが、モーツァルトがフリーメイソンであることを理由に、来て貰えなかったと言うことです。
内部はとても美しい。シュテファン寺院とはまた違った荘厳さがあります。
クライネス・カイザーハウス
1790年9月30日 ヴォルフガングはこの家に引っ越しました。魔笛はここに住んでいる時期に書かれたものです。
1791年12月5日 モーツァルトは、『レクイエム』を描き終えぬまま、この家で亡くなりました。
-1849年建築 1791年12月5日 モーツアルト死去-
モーツァルトがここで亡くなったことを示す看板。
建築年から、当時の建物ではないことが分かります。
シュテファン寺院 モーツァルトの葬儀
十字架像小聖堂
ステファン寺院の外の北側にある小さな部屋から、モーツァルトの遺体を乗せた馬車が、墓地へと向かって出ていきました。
ここでモーツァルトの葬儀が行われたと言われています。
キリストの足の下に、モーツァルトの葬儀を行ったことを示すプレートがあります。
下に扉が開いていますが、これはカタコンベの出口。
十字架像小聖堂の碑文
-1931年12月6日 W.A.モーツァルトここで永久のムリにつく-
十字架小聖堂
モーツァルトの葬儀が行われた場所には諸説あり、上記の外ではなく、シュテファン寺院内部の十字架小聖堂が有力視されています。
葬儀に、コンスタンツェは立ち会わず、サリエリが参列しました。
ザンクト・マルクス墓地
モーツァルトは、ザンクト・マルクス墓地に埋葬されました。共同墓地に埋葬され、墓石も建てなかったために、遺骨は見つからないままとなっています。
現在は墓石がありますが、そこにモーツァルトは眠っていません。
ウィーンのモーツァルト像
モーツァルト像の中で最も有名な像。
花壇のト音記号と一緒にモーツァルトを1枚の写真に収めるのはなかなか大変。王宮庭園にあります。
譜面台に手を掛けているモーツァルト。
足元には、天使たち。そして、ヴァイオリンやトランペット、魔法の笛(オペラ『魔笛』に出てくる)などがあります。
マリアテレジア像
美術史美術館と自然史博物館の間にマリア・テレジア像があります。
マリア・テレジアの足元には、マリア・テレジアに仕えた人や当時活躍した人々の像があります。
マリア・テレジア像の自然史博物館側(西側)に、幼いモーツァルトがいます。
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サリエリの旅のページもご参照ください。
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