~ 作家ゆかりの地を巡る ~

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  ヴィクトル・ユゴー

  シェイクスピア

  チャールズ・ディケンズ

  ヴィアトリクス・ポター

  ゲーテ

  ハンス・クリスチャン・アンデルセン

  セルバンテス

バイロン

モルチェーゴ館

モルチェーゴ館

 ヴェネツィアの大運河に面したモルチェーゴ館に詩人バイロンが、1818年~1819年滞在しました。
バイロンといえば、『アスペクツ・オブ・ラブ』の歌詞の中に登場します。
モルチェーゴ館

バイロンが滞在したことを示すプレート

大運河に面した壁には、バイロンが滞在したことを示すプレートが掲げられています。
このプレート運河側にあるため、水上バスから見るには、そうとう目を凝らしていないと、見逃します。

キースとシェリー

キーツとシェリーの記念館

キーツとシェリーの記念館

 ローマのスペイン階段の脇にある建物は、キーツとシェリーが滞在した館。
現在内部公開されています。

 キーツとシェリーは、『ローマの休日』の中で、アン王女とジョーが詩の作者を巡って争うシーンがあります。

メアリー・シェリー

古代ローマ温泉浴場跡

古代ローマ浴場跡

 メアリー・シェリーはイギリスのバースで、『フランケンシュタイン』を執筆しました。
その建物は取り壊され、現在その場所は古代ローマ浴場跡の入り口になっています。

バルザック

バルザック記念館

バルザック記念館

 パリにあるバルザック記念館。
L字型の形状を利用して、借金取りを煙に巻いていたとか。
内部公開されています。

バーナード・ショーとヴァージニア・ウルフ

バーナード・ショーとヴァージニア・ウルフの家

バーナード・ショーとヴァージニア・ウルフの家

 ロンドン北部にあります。
左から2番目のドアが、バーナード・ショーとヴァージニア・ウルフが住んでいた家です。
同棲していたわけではありません。住んでいた時期が違います。
内部は、公開されていません。

バーナード・ショーは、『マイ・フェア・レディ』の原案となった『ピグマリオン』の作者です。

ワーズワース

ワーズワースの家

ダヴ・コテージ

 イギリス湖水地方にあるダヴ・コテージは、ワーズワースが最も貧しい時代に過ごした家です。
大変寒かったため、部屋に新聞を張り付けたり、ろうそくの下にろうそくの型をおいて、再びろうそくとして利用したりしていた生活の様子を説明してもらえます。
 ワーズワースが住んだ後、家は人に渡っているため、おそらく内部は当時をイメージして再現されたものだと思われます。
ダヴ・コテージからの眺め

ダヴ・コテージからの眺め

 ワーズワースが住んでいたころ、家から湖が見えていたそうですが、現在は家が立ち並びみることができません。
週に1度通る馬車がうるさいと文句を言っていたそうで、今でも小さな村ですが、当時はそうとう小さい村だったようです。
>ダヴ・コテージ庭からの眺め

ダヴ・コテージ庭からの眺め

 ダヴ・コテージの裏は、傾斜していて、一番上まで登れば、今でも湖を望むことができます。
ワーズワースの墓

ワーズワースの墓

 ワーズワース家にまつわる人達の墓が3つ並んでいます。
ウィリアム・ワーズワースの墓は一番左です。
この墓地は小さな教会内にあります。
墓地のすぐわきを綺麗な小川が流れていて、大変美しいところです。
お墓に興味がなくとも、訪れる価値あり。

ジェフリー・チョーサー

ヴェラルドミン・カレル

ウェストミンスター寺院

 ウェストミンスター寺院というと、歴代イングランド王の戴冠式や葬儀が行われることで有名ですが、
『カンタベリー物語』を書いたジェフリー・チョーサーは、ここで晩年をすごしました。
かれは、ここに埋葬されています。

また、寺院内に詩人のコーナーという場所があり、 シェイクスピア、T.S.エリオットらの名前が刻まれています。文学ファンは見逃せません。

ペーター・アルテンベルク

カフェ・ツェントラル

カフェ・ツェントラル

 オーストリアの作家ペーター・アルテンベルクは、 ウィーンのカフェ・ツェントラルで毎日を過ごし、 ここで作品を書いていました。
ペーター・アルテンベルク像

ペーター・アルテンベルク像

彼は今でも客を出迎えて、
文学談義をしてくれる相手を探しています。

ヘンリック・イプセン

ヘンリック・イプセン

イプセンの像

現代演劇の父とよばれるイプセンの像です。
ノルウェーのベルゲンのNatinale Sceneの前に、 すごい顔で建っています。

代表作は『ペール・ギュント』や『人形の家』で、 バーナード・ショーなどに大きな影響を与えました。

ヘミングウェイ

ヘミングウェイ

レストラン『ボディン』

 「老人と海」で知れるヘミングウェイはアメリカ人ですが、彼が愛したレストランがスペインのマドリッドにあります。
マドリッドで最も有名なレストラン。
ボティンの子豚の丸焼き

ボティンの子豚の丸焼き

 名物は子豚の丸焼きです。
ずらりとならんだ子豚、子豚、子豚・・・。

 ランチに行ってみましたが、予約なしでも大丈夫でした。ディナーは、予約した方した方がいいと思います。 名店といわれるだけあって、すてきなサービスが受けられます。日本語メニューがあり、思い出としてお持ち帰りくださいとのことでした。

ワシントン・アービング

アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿

 アービングはアメリカン人ですが、彼が書いた「アルハンブラ宮殿物語」は、それまで、忘れ去れて放置されていた宮殿を一躍有名にしました。
そして、アルハンブラ宮殿の価値が見直され、整備されました。
アービングが滞在した部屋

アービングが滞在した部屋

 アルハンブラ宮殿の一角に、アービングが滞在したといわれる部屋があります。残念ながら中を見学することはできません。

下は、ドアの上に掲げられているプレートです。 アービングの部屋のプレート

ダンテ・アリギエーリ

ダンテの生家

ダンテの生家

 フィレンツェの旧市街にダンテの生家があり、現在は博物館となっています。
生家といっても、建物は近年つくられたのものです。

樋口一葉

伊勢質店

伊勢質店

 此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、 羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我と持ゆかんとす。蔵のうちにはるかくれ行ころもかへ

 東京都文京区本郷にある質屋は、一葉ゆかりのもの。 一葉が本郷を離れてからも、付き合いがあり、一葉の妹が亡くなった時、この質屋から香典があがったということですから、深い付き合いだったことが伺えます。
伊勢質店の案内
伊勢質店の前のプレート。
樋口一葉ゆかりの井戸

樋口一葉ゆかりの井戸

 上の質屋のすぐ近く。 歩いていたら、とあるお店に、「この先50メートル先を曲がった先に、一葉ゆかりの井戸があります。」という看板を見つけて、探すと細い路地。 路地の奥に、井戸がありました。一般の民家の前です。特に説明書きもないのですが・・・
井戸の先建物
井戸の先に、レトロな建物があったので、撮影しました。
いつの建物でしょう?? そうとう古そうですが、3.11も乗り越えているので、すごいですね。 逆光なので、綺麗に撮影できませんでした。

宮沢賢治

宮沢賢治が住んだ家

宮沢賢治旧居跡

文京区本郷。
樋口一葉の縁の井戸がある場所からすぐ近く。
右手建物の二階の部分に、病気になり花巻に帰るまで、住んでいたということです。
当時の面影はありません。
宮沢賢治が住んだ家のプレート
宮沢賢治旧居跡を示すプレート。
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