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アンデルセン  ~ HANS CHRISTIAN ANDERSEN ~
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オーデンセ コペンハーゲン コペンハーゲン2 物語に登場する場所 デンマーク以外 旅のヒント


私の人生は一片の童話だった






王立劇場

王立劇場
 アンデルセンは、王立劇場の舞台に立つべくコペンハーゲンにやってきました。
コペンハーゲンで、アンデルセンに纏わる場所を巡るなら、一番最初に王立劇場に行くべきです。 王立劇場にまつわるアンデルセンのエピソードを書きだしたら、小説の何十ページにもなるでしょう。

 また、バレエ「人魚姫」が上演されたのもこちらの劇場です。 劇中アンデルセンが舞台上で語るシーンはこの劇場ということになります。

Vingårdstræde6番地

Vingårdstræde6番地
 エルシンオアからコペンハーゲンに戻ってきた後、1827年からHenckel夫人宅に屋根裏で下宿しました。
『絵のない絵本』は、ここで書かれました。
アンデルセンの部屋は、当時のまま残されているそうです。

コペンハーゲン大学

コペンハーゲン大学

父親の仕事部屋

 1828年 アンデルセンはコペンハーゲン大学に入学しました。
同時に近衛兵団の学生隊員になり、庶民でただ一人下級士官になりました。
しかし、アンデルセン自身はこのことを自分から語ることはなかったと言います。
卒業式

コペンハーゲン大学の学生

 奇しくもこの日は、コペンハーゲン大学の卒業式。
町中卒業生が大騒ぎです。 女子も男子も噴水や運河に裸で飛びこむ。トラックを飾り付けて、荷台に乗り込み道を占拠する。 通りすがりの人を無理やり巻き込んで踊りだす。ここまで狂気乱舞するということは、さぞかし卒業が大変なのでしょう。

 アンデルセンの後輩は大変なことになっています。

ニュー ハウン20番地(20 Nyhavn)

ニュー ハウン20番地(20 Nyhavn)
 1834年未亡人カレン・ソフィー・ラーセン宅だったここの2階に住んでいました。
アンデルセンが住んでいたことを示すプレートが掛かっています。
アンデルセンが住んでいた時代はニューハウン280番地でした。
ニューハウン20番地のプレート

ホテル・デュ・ノール跡(Hotel du Nord)

 1838年~1847年コペンハーゲンにいるときに、ホテル・デュ・ノールに滞在していました。
王立劇場の通りを挟んだ隣です。
現在は、マガジン・デュ・ノール(Magasin du Nord)のデパートになってます。
おそらく、これほど大きな建物ではなかったと思います。

コンゲンスゲート49番地(Kongensgade49)

コンゲンスゲート49番地
 1847年KongensgateとTværgadeの角にんでいました。
Danske Bankとなっています。
Danskeといえばアンデルセン童話にも登場するデンマークの英雄ですね。

アマリエゲート37番地 (AmalieGade 37)

アマリエゲート
 アマリエゲート旧141番地。
1848年6月27日から 8月24日までキャプテン クリスチャンウルフ宅に滞在しました。アマリエンボー宮殿近くの大きな邸宅が並ぶ一角です。

ニューハウン67番地(67 Nyhavn)

ニューハウン67番地
 1848年8月30日から、未亡人Anholm夫人のこの建物に住んでいました。
こちらの1階は、H.C.ANDERSEN Cafeになっています。
こちらも、アンデルセンが住んでいたことを示すプレートが掲げられています。
ニューハウン67番地のプレート

ホテル・フェニックス(Hotel Phønix)

ホテル・フェニックス
 1858年8月29日、このフェニックス・コペンハーゲン・ホテルに滞在しました。現在も営業中です。
それほどの高級ホテルというわけでもないようなので、泊まってみるのも難しくはないでしょう。

ホテル・ダングレテール (Hotel d’Angleterre)

ホテル・ダングレテール
 1860年11月23日、1871年4月など、何度かこちらのホテルに宿泊し ていたようです。
王様の広場に面して、王立劇場のほぼ向かい側にあるホテル・ダングレテールに滞在しました。

Annæ Plads22番地

Annæ Plads22番地
 1861年1月~4月滞在していました。 1階の2部屋がアンデルセンの部屋でした。
 ゲンザイハ、八百屋やカフェが入っています。 アンデルセンが住んでいた場所はにぎやかなところが多いですが、 こちらは静かで、大きな邸宅が並んでいます。

ホイブロ広場21番地(21 Højbro Plads)

ホイブロ広場21番地
1870年5月 ホイブロ広場、クリスチャンボー城が見える建物にアンデルセンが住んでいました。
ここまで行っておきながら、肝心なアンデルセンが住んでいた建物の全景を撮影わすれてしまいました。
 >左側の角の建物がアンデルセンが住んでいた建物です。 塔がある大きな建物が、クリスチャンボー城。

トーアンスキョル17番地(17 Tordenskjoldsgade)

トーアンスキョル17番地
 1871年4月~5月 オペラ座のすぐ裏手にあるこの建物に滞在しました。ホテル・オペラの隣です。
 その後もう一度、この通りに住んでいたようですが、そちらの場所はよくわかりませんでした。

ニューハウン18番地(18 Nyhavn)

ニューハウン18番地
 1873年9月から1875年の6月(アンデルセンが、病気でRolighed家に引き取られる最後)まで、住んでいた家で、最後の下宿場所となりまし た。
こちらには、プレートはありませんが、住所からいくとここのはずです。
「旅するアンデルセン」で紹介されていた建物の写真と大きく異なるがきになるところです。

ニュー ハウン(Nyhavn)

ニュー ハウン
 アンデルセンは、ニューハウンを愛していたようで、3回家を変えてニューハウンに住んでいました。
最後も病気になるまで、ここに住んでいました。
アンデルセンが気に入るのも納得できる美しい場所です。
 現在ニューハウンは、レストランが並ぶ人気の観光地です。
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