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アンデルセン  ~ HANS CHRISTIAN ANDERSEN ~
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旅することは生きること






パリ ヴィクトル・ユゴー博物館

ヴィクトル・ユゴー博物館
 アンデルセンは、『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』の作者ヴィクトル・ユゴーの家をたずねました。
パリのヴォージュ広場にあり、現在はユゴー博物館になっています。
初めてユゴーを訪ねた時、アンデルセンはユゴーにサインをもらったもののあまり好意的でなかったようです。
 その後、ユゴーもアンデルセンが著名な作家だと知り、親しくなりました。

ヴェルサイユ トリアノン宮殿

トリアノン宮殿
 ヴェルサイユ宮殿内にあるトリアノン宮殿。
かつて、ナポレオンが居住していました。アンデルセンの父は、ナポレオンを崇拝し志願して兵士となりました。
それに、影響されたアンデルセンは、ここを訪れ「人の目がなければ、ナポレオンのベッドにひざまづいたのに」とつぶやいたと言われています。

ロンドン チャールズ・ディケンズ博物館

チャールズ・ディケンズ博物館
 『クリスマス・キャロル』『二都物語』の作者チャールズ・ディケンズとアンデルセンは親交がありました。
 1857年アンデルセンはディケンズを訪ねてロンドンを訪れました。
アンデルセンが、懸命に英語で話しかけると、「デンマーク語で話したまえ。まだ、その方が分かるから」と言われてしまったというエピソードがあります。

ワイマール エレファント・ホテル

エレファント・ホテル
 1844年ドイツ・ワイマールを訪れました。
エレファント・ホテルは、ワイマール随一のホテルで、多くの著名人がこのホテルに泊まりました。
ヒトラーがこのホテルのバルコニーから演説をしたこともあるそうです。
アンデルセンのプレート
 アンデルセンが滞在したことをを記したプレートがエレファント・ホテル脇に掲げられています。

ロンドン リビングストン像

 ロンドンにあるリビングストン像です。  イギリスの冒険家リビングストンの娘がアンデルセンへファンレターを送ったことをきっかけに、文通が始まりました。
 リビングストンが行方不明となった時に送った手紙から、アンデルセンがたいへん心配している様子がうかがえます。そのリビングストンは生きて帰ってくることはありませんでした。

バチカン美術館

 システィーナ礼拝堂の玉座の階段で寝ころび天井を見上げた。
教皇選出のコンクラーベが行われ、ミケランジェロによる壁画や天井画有名な場所です。
システィーナ礼拝堂は、バチカン美術館に入館すれば見学可能ですが、写真撮影は不可です。

ローマ コロッセオ

 1840年のクリスマス・イブ 画家のカール・レフラーと共にコロッセオを訪れました。

ローマ フォロロマーノ

 1840年のクリスマス・イブ 画家のカール・レフラーと共にフォロロマーノを訪れました。

ローマ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

 ローマ市内にありながら、ヴァチカンに属する教会です。
モーツァルトは、ここで勲章を受け取った場所です。

ローマ カフェ・カフェグレコ

 ローマで最も古いカフェと言われ、ゲーテやニーチェ、ワーグナーも訪れた場所です。
アンデルセンは、カフェグレコに部屋を借りていました。
『即興詩人』はここで執筆されたといわれています。

ナポリ近郊 ヴェスヴィオ山

 1834年アンデルセンは、ヴェスヴィオ山に登りました。
この時噴火中だったとあります。おそらく煙を吹いていた程度で、途中どまりだったのでしょう。

ウィーン シュテファン大聖堂

 ウィーンの中心にある教会。ハプスブルク家の墓所の一つであり、モーツァルトが結婚式と葬儀を行った場所でもあります。
 アンデルセンは、ここで美しい物乞いを見つけたと書き残しています。

ウィーン アウグスティーナ教会

 ウィーン王宮に付属した教会で、マリー・アントワネットが代理結婚式を、フランツ・ヨーゼフとエリザベートが結婚式を挙げたことで知られています。
 アンデルセンは教会内の『マリア・クリスティーナ記念碑』を非常に気に入りました。
マリア・クリスティーナは、マリア・テレジアが溺愛した娘で、彼女が亡くなった時に夫が依頼し製作されたものです。

グラナダ アルハンブラ宮殿

 アンデルセンは、アルハンブラ宮殿を訪れ感嘆していました。
アルハンブラ宮殿に隣接したホテル(パラドール デ グラナダ)に滞在したようです。
 ライオンの庭のライオン像については、不細工だと酷評しています。

グラナダ ヘネラリフェ宮

 アルハンブラ宮殿に隣接する庭園が有名な宮殿。
アンデルセンはアベンセラヘス家の物語をもとに詩を作っています。
アベンセラヘス家は、一族がここで殺害され、その広間にその名が付けられていると旅行記に記しています。

グラナダ 死の道

 アルハンブラ宮殿とヘネラリフェ宮の間の道。イスラム最後の王が通ったことから死の道と呼ばれたとあります。水道管のアーチぐって歩いていくと、斜面に洞穴がたくさんあり、そこに住んでいると思われる老夫婦が仲良く1本の葉巻を吸ている姿を「家庭的な幸せ」と書いている。
ここに洞穴の跡らしきものは残っているが、住めるようなものはない。別の場所には洞窟が残っており、現在はフラメンコショーを行うタブラオで見ることができます。
見学は難しいと思われるが、スペインのあちこちで洞穴の住居を見かけます。
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