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サウンド・オブ・ミュージック
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あらすじ 真実のトラップ一家 トラップ一家のその後  


 トラップ一家のその後 
 

 アメリカに渡った後のトラップ一家の足跡についてご紹介します。


  貧困


 『トラップ聖歌隊』から『トラップ・ファミリー合唱団』に名を改め、コンサートの旅を続ける日々を過ごしました。
コンサートを続けても暮らしは楽にならず、食べるものにも事欠く状態でした。
しばらくは、フルーツだけ。1人1ドルのレストランですら、入ることができない状態でした。


  スパイと疑われる


 オーストリア人ということから、ナチスであるのではないかと疑いを掛けられることもありました。
入国審査で、マリアが「アメリカにずっと住むことができたら、幸せだわ。」と言ったがために、
不法滞在となる可能性があるとして、長いこと拘束されたこともありました。

 アメリカで生活していくには、アメリカ国籍が必要だと一家は考えました。
アメリカ国籍取得のために求められたのは、アメリカへの忠誠心。
二人の息子は、アメリカ軍に入ることを決意。
故郷のオーストリア軍と闘うことになったのです。
二人は、無事帰ってこられました。


  娘たちで建てた家


 息子二人は、戦争にいったため、残された家族は、バーモント州に土地を購入し、女性達の手で家を建てて生活しました。
現在も('07/05)、トラップ・ファミリー・ロッジとなっていてマリアの実の息子が運営しています。
やがて、第二次世界大戦から無事に息子二人も帰ってきました。


  祖国への支援


 戦後、敗戦国であるオーストリアは、あらゆるものが不足していました。
マリアたちは、コンサートで呼びかけて、物資の支援を募りました。
バスにも積みきれない山のような物資が集まり、祖国を支援しました。

  一家の物語がミュージカルに


 マリアは、一家の辿ってきた手記を出版。
その手記を元に映画『菩提樹』やミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』が作成されました。
ミュージカルはやがて映画化され、大ヒットとなりました。
当然ミュージカルや映画には、事実と違う部分もあり、一家は戸惑ったということです。
しかし、映画のヒットによって、一家の生活が楽になったことも事実でした。


  ザルツブルクの家のその後


 ザルツブルクのトラップの屋敷は、ナチスに押収されました。
恐ろしいことに、この家の外で何人もの兵士がふさわしくない歌をうたったとして、無残に撃ち殺されました。
戦後、ザルツブルクの家は、トラップ家の元に戻ってくるのですが、もはやザルツブルクに戻る気はなく、この家を売りに出しました。
めぐるめぐり、2010年、再びトラップ男爵の孫のものとなり、ホテルとして泊まることができます。
(惨殺事件があったのでちょっと怖いですね。)
 映画の撮影された屋敷は、本当のトラップ家の屋敷ではありません。現在は個人の持ち物です。



 ゲオルクは、1947年になくなりました。
マリアは1987年3月28日になくなりました。

  ゲオルクがなくなったとき、オーストリア皇帝、皇后からゲオルクの功績を称えた電報が届きました。
 現在でも、トラップ家には世界の子ども達から手紙が届くそうです。
「友達になってください。」と。



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