劇場街トップへALW版 オペラ座の怪人 The Phantom of the opera
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メイン あらすじ 登場人物相関図 オペラ座の怪人の謎 舞台の大道具・小道具 関連舞台作品  
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ロンドンと日本の違い 映画と舞台の違い25周年記念公演と通常公演の違い  

舞台の大道具、小道具のあれこれを記載しています。

 オー クションのカタログ

 冒頭のラウルが持っているカタログには、ちゃんとフランス語で商品の内容が書かれて います。
このカタログの表紙に、「le Mercredi 4 Juin 1905」と書かれています。
つまり、オークション開催日は、1905年6月4日火曜日。
※ 調べたところ、実際には1905年6月4日は、火曜日ではなく日曜日でした。

 新聞

 支配人が投げている新聞は、現存するフィガロ。(右の写真は、現在のフィガロ)フィガロ
舞台上の新聞も、ちゃんとフランス語で記事が書かれています。
カレッタ汐留に、舞台で使われている新聞展示されていました。
新聞に書かれていた日にちは、「MERCREDI 24 」。
よく月は読み取れませんでしたが、三文字目が「V」でした。「FËVRIER」「NOVEMBER」のどちらか。
新年の舞踏会の半年以上前のことなので、おそらく2月?
新聞に年は書かれていません。

  ロイヤルアルバート・ホールの25周年記念公演で、フィルマンが最初に読んでいる新聞はやはりフィガロ。
『MYSTERY AFTER GALA NIGHT』と書いてあります。
あら・・・英語。
3番目に読む新聞は、裏面広告があります。『SI VOUS TOUSEZZ PASTILLES GÉRAUDEL』
調べると、実在した咳止めトローチの広告です。
下のものがおそらく新聞の元となった広告です。
さらに細かいことを突っ込みを入れると、この広告はオペラ座の怪人事件よりもう少し後の時代のものです。
新聞広告


 

 『オ ペラ座の怪人』事件は何年?

 劇団四季のプログラムでは、『19世紀半ば』とだけ記載されています。
ロンドン版の台本では、明記されています。1881年。
映画は1870年です。(1870年代と紹介されている場合もあります。)
(オペラ・ガルニエが開場したのは、1875年なので映画版は旧オペラ座が舞台です。)

 

 バ レリーナの衣装

 バレリーナたちがきている稽古の白いチュチュはドガの絵をもとに作られていま す。
クリスティーヌの楽屋のシーンで、練習しているバレエのシーンもドガの絵画が元になっています。

 

 オ ペラ座の屋根に立つ像

 怪人が、オペラ座の屋上で、クリスティーヌとラウルの逢引を目撃してしまうシーンは、印象的なシーンの一つです。
小説、舞台では怪人が隠れていた像がそれぞれ違う像になっています。

 ア ポロン像
 原作では怪人は、アポロン像の後ろからラウルとクリスティーヌの様子を探っています。
アポロンは、オペラ座の屋根の中央で竪琴を掲げています。
アポロンは、ギリシャ神話の中の太陽の神ですが、同時に音楽の神でもあります。

 天使像(ムーサの女神)
 ALW版の舞台では、怪人が屋根の端にある天使像の後ろに隠れています。
通称『天使像』と呼ばれていますが、実際オペラ座の屋上にあるのはムーサの女神です。
ムーサは芸術を司る7人の女神のことです。
オペラ座広場から見て、左側の竪琴を抱えているのは、テルプシコラ。合唱と舞踏を司っています。
右手側がタレイア、杖と蔦の冠を持っています。喜劇を司っています。

■ ペガサス像
 天使像がプロセニアムアーチ(舞台の額縁装飾)に設置できない劇場では、舞台上にペガサス像が設置されます。
本物のオペラ座にもちゃんとペガサス像があります。
ペガサスは、ヘルメスによってメドゥーサが倒されたとき、地に落ちた血から生まれたとされています。
その後、ムーサの女神達の乗り物となりました。


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